最近のはなし。
芸人さん達が、タモリについて是非を語るのが少し続いている。
一応お笑いの最左翼から少しだけ外れて立ち続けている私としても、この時期、これについて話さないわけにはいかない。
自分の立場としては、
お笑い、という狭義の意味でユーチューバーのヒカルという人がタモリは面白くない、というのは勝手なので、批判もされつつその意見を言えばいいし、それで中学生だとか頭が悪いとか言われておけばいい。
さて、お笑い、が広義になると、それをやるのは芸人だけではなくなることは、これを読む方にも納豆食う間違い納得して貰えると思う。
タレントも、脚本家も、映画監督も小説家も文化人も音楽家も、絵描きもスポーツマンも、表現することに関わる人がそれを考えるとき、自分が面白いと感じることを盛り込んで、表現したい事の確信に対する、受け手側の集中力を高めたり、
表現の主題ではなくても自分の考える面白さをついでに表現したり、エンターテインメントとしての価値を高めることに重きを置く表現者ならば特にその面白さを主題のように描いて、核心を垣間見せるだけにすることで経済的成功を狙うだろう。こないだみたシェフという映画は当にそれだった。
サッカー選手であるメッシが、ワールドカップの決勝でゴールのあと、「な?」とマバタキせずにカメラ目線で2秒立ちどまったとしよう。で、そのゲームで3回繰り返したとしよう。
それがお笑いだと言われなくても、私は、3回目はとんでもなく面白いだろうなぁ、と思うけれど、ヒカルさんの言う意味ではおそらく面白い事にはならない。
ツッコミがないだけで、ヒカルさんはそれをお笑いとジャッジしない、という方針なのかもしれない。
ということは、受け身だということ。お笑いの素人、ということだ。
3回目のメッシの「な?」のあとに、ハマちゃんならハリセンでメッシのあたまをしばけるだろうから、その時やっとメッシもタモリもヒカルさんにとって、お笑いのカテゴリになって、、、それでも面白くないと言いそうだ。
死んだ赤塚不二夫への弔辞をタモリが読み上げた(あれは実は白紙で、読んだのではなく言葉を紡いだというのが事実らしいが、)あとに、
ヒカルさんが出ていって、後ろからタモリをハリセンでしばいたあとに、死んで横たわる赤塚不二夫の顔面をハリセンでしばくことがあれば、ヒカルさんの言う意味でも全員が面白いだろうし、全てが愛に包まれるだろう。
しかし、もしヒカルさんがあの弔辞を知っていて、あえてタモリ面白くないと言ってるのなら、やっばあの人は只、若くて頑張ってる無知な若者、何だと思う。
第一、私が語ることではないので、誰かにハリセンで私の、、、